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井戸端の「放送番組のスポンサー列挙に必要か?」とKanbun: msg#00178science.linguistics.wikipedia.nihongo
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:井戸端#放送番組のスポンサー列挙に必要か?; http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト; 放送番組#スポンサーの列挙は必要でしょうか 井戸端で気になる面白い質問があったので意見します。キリカは管理者さんに 両手両足を縛られて、食べ物も与えられないひもじい状態なので、MLを使いますね。 結論から言いますと、スポンサーの列挙を拒否するのは論理的に難しいです。 これはウィキペディアの理念の基礎となっている「Wikipedia:五本の柱」の一つである 「Wikipedia:中立的な観点」に接触する可能性が高いからです。 問題の起こってる「ウィキプロジェクト 放送番組」の意見の論点はこの様にも置き換えられます。 作品:(番組内容)(視聴者の観点) 制作:(制作現場の状況)(テレビ局の観点) 商品:(マーケティング)(スポンサーの観点) 評価:(社会への影響)(社会からの観点) 例えば、マーケティングの立場からすれば、番組の内容は程々にして 視聴者層や、どう言った広告を流すか説明する方に力点に置くのは当然です。 番組内容を知りたい閲覧者にとっては、制作現場や視聴者層についての記述は およそ期待しない物であり、あっても記事を冗長にするだけで不必要な内容でしょう。 しかし反面、商品としての位置づけを知りたい人にとっては、作品内容だけ書いてあっても 何にも役に立ちません。これではウィキペディアは必要なことが何も書いてない 中身がない百科事典となってしまいます。 それでも「ウィキプロジェクト 放送番組」や特定の執筆者同士の間で 「スポンサーについては書かない」と〈決める〉ことは出来ます。 ですが、その判断は(マーケティングの観点)(社会からの観点)などを否定する行為となり 「Wikipedia:中立的な観点」にバッティングします。特定の観点を意図的に拒否する事ですからね。 さて、ここからが本題です。 それでも「書かないと〈決めた〉のだから、書かないのだ」というのは 下位のルールとして制定することが可能です。しかし「Wikipedia:中立的な観点」の方が 上位に位置しますから、必ず以下のような意見が上がって来るでしょう 「なぜ、視聴者層が書かれてないのだ?」「スポンサーの記述がなければ意味がない!」 そして「過去の決定は、Wikipedia:中立的な観点を否定する決定であり、不当である」と。 これは一時的な対処では解決のしない、ウィキペディアの構造的な問題です。 例え、この場で無視しても、いつか必ず反対する意見は蘇って来るでしょう。 「Wikipedia:中立的な観点」が五本柱の一つに数えられてるのは伊達じゃないって事ですね。 すなわち、直結的な影響力を及ぼし、公式化するか否かが問題となる「運用型のルール」に対して 存在するだけで影響力を及ぼし、たとえ拒否しても復活する、仕組みの中に埋め込まれた規格・要素 とでも言うべきものが「理念型のルール」です。これは物理方程式のような物なので 公式化しようがしまいが存在しうる物であり、「規定」というより「発見」に近い性質を 持っているため、弄ろうにも弄り難い性質なのです。 分かりましたか? Kanbunさん。 と言うより、Kanbunさんは「理念型」の項目にも携わっていたし 「/以前のページ」にも書いてあるのに、どうしてそんな事するの? もしかしてキリカの事が嫌いだから、見捨てたんですか? 「メタ・ルール」と「理念型」を同じ扱いするなんて Kanbunさんはどうしちゃったのかなぁ って思いました。 |
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